クレヨンしんちゃん 大人帝国の逆襲を見た感想
小学生の時に見たクレヨンしんちゃん 大人帝国の逆襲を最近また視聴したので、その感想を書いていきます。
まず作品の大きなテーマとなっているのは『大人と子供』ですね。これは『過去と未来』と言い換えてもいいと思います。
この映画はまず、ひろしが子供の頃に好きだった特撮の主人公になりきる撮影を、20世紀博の施設で行うシーンから始まります。
そして20世紀博にはまる大人が大勢いるという描写が入り、翌日になり、大人的な行動をしない大人や、その大人たちを20世紀博側の人間たちが回収に来るという流れになります。
この流れの中で、精神が子供化する大人=起きてから好きなものを食べてゴロゴロする、あるいは昔の遊びをする大人が描かれています。
この辺りで印象的だったのが、遊んでいる園長先生や他の先生の間にしんのすけが入ろうとした際に、先生たちが強くこれを拒んだことです。
これは子供=未来を、過去=自分たちの知っている世界でしか生きたくない大人が拒んだ、つまり、大人が現在以降を拒み、過去を生きたがっているという暗喩のある描写に感じました。
子供たちが自分たちで食料を探したりするシーンは、シリアスシーンの過多を避けるための構成だと思うので、そこの感想は書かないでおきます。
次に印象的なシーンとして、子供たちがバスで逃げる描写がでてきます。これはアニメならではのシチュエーションであり、かつコミカルな演出だったので単純に楽しめるシーンでした。
このシーンのメッセージとしては、子供たちがそれぞれ自らハンドルを握るということ、大人が仮にいなくても自分たちだけでも進んでいこうとする、まだ弱いながらも力強い精神を描く意図があったのかもなあと思いました。
先の食料集めのシーンもそうでしたが、しんのすけ達は大人がいなくても自発的に行動を起こしています。ここに、未来に向かう子供の姿というメッセージみたいなものがあったように思います。
次はしんのすけがひろしに靴の匂いを嗅がせ、大人の心に戻すシーンです。
その際に流れるひろしの回想のシーンが泣けるんですよ。内容としては、子供だったひろしが学生時代を経て、社会人をやりながら、子供も生まれて家族が増えたり、帰宅して家族とじゃれついたり、他にもみんなで出かけるというシーンが流れるのですが、この回想シーンの大事なポイントは、苦労した思い出と幸せな思い出のふたつが入っているという点だと思うんですよ。
会社で残業して苦労したけど、帰ったら家族が温かく迎え入れてくれて幸せな気分になった、みたいな。
家族ができて、ひろしはその家族を養うために当然苦労がある。だけど、その苦労なんて忘れてしまうくらいに家族といられることが幸せで、だからこそひろしは21世紀を生きるという選択をしたんでしょう。
この場面では、20世紀を生きる(子供の精神のまま懐古心に浸って生きる)=変わらぬ平穏な日々を生きる。21世紀を生きる(大人の精神として現実を生きる)=変化や浮き沈みもあるけれど、その中に身を投じ、幸福を自分の手でつかんでいく。ということなんだと思います。
後はやはり東京タワーのシーンですね。テーマに沿ったようなシーンで好きなところは、エレベーターに乗っているケンに対してひろしが、「俺の人生はつまらなくなんてない。家族のいる幸せをあんたたちにも分けてあげたいくらいだぜ」と言い放つところです。
これは言葉の意味そのままのひろしの心情であり、同時に、過去の世界に捕らわれたまま未来に進まない(家族なんてできない)ケンとチャコに対する皮肉のようなものにも聞こえます。前に進めず、昔からあるものだけで満足する二人をかわいそうに思っていると感じるようなセリフでもありますね。
それと最後に、しんのすけの激走からのしがみつきのシーン。未来であり希望である子供のしんのすけがあれだけ必死に走って、前(21世紀)に進もうとする姿が、人々の心を打ち、20世紀への執着を薄れさせ、人々に前に進む勇気を与えたという形。「5歳児のしんのすけがあれだけがんばって前に進もうとしてるのに、自分はいつまでも安寧な場所にしがみついて、前を見ずにいていいのか?」そんな気持ちを見た人に呼び起させるような激走と執念でした。
また最上階でケンたちに向かってしんのすけの言った、ケンカしたりしても家族と一緒がいいというようなセリフは、先のひろしの回想のような、多少つらいことがあっても、より大きな幸せがあればそれでいいというような考え方で、過去の楽しい記憶に固執せず、前に進んで新しくいい思い出をつくろうというメッセージは、ケンとチャコだけでなく、視聴者に伝えたいことだったんだろうなあと思いました
経済の停滞に対するメッセージとして
この映画は2001年に公開されて、世紀の移り変わり直後のタイミングで公開されているわけですが、世紀の移り変わりに合わせてこういうテーマの作品をつくったというのは意味のあることだと思います。
というのは日本では1990年代前半にバブル崩壊が起こり、この映画が公開された頃は日本経済の停滞や、それによるバブル期への懐古心を募らせる人が多かった頃かと思いますが、そういった人々に対して、未来に向かう野原一家の姿を見せることで、前を向く希望を与えるようなこの映画は、やりたいことがはっきりとしていて、またその伝え方も明瞭なもので、なおかつ子供でも楽しめるコメディ感もふんだんにあるという、ファミリー映画としては最高のものだと思います。
五等分の花嫁のキャラの性格考察と印象
今見ているアニメ、五等分の花嫁の5姉妹の印象と僕の妄想を書いていきます。
10話まで視聴した段階での印象です。原作は未読。10話までの内容でネタバレあり。
一花
長女。長女であるからこそ、他の4人の姉として振舞わないといけないという意識が強い。
花火大会の際に、おっさんから逃げ、オーディションが不安なのに誰にも相談できずに震えていたシーンや、10話の最後の倉庫で泣いてしまうシーンで、自分でもよくわからないまま泣いていたりと、感情がピークになって体になんらかの変化が出てこないと周りに当人の抱えているものが伝わらないような感じで、我慢しすぎた結果、体を壊してしまいそうなタイプで心配。もっと人を頼っていいんだよと言いたくなる。
とはいえ普段から三玖と上杉の仲を深めさせようとしたり、他の4姉妹と上杉がうまくやれるように立ちまわったりと、その世話焼きな性格はやっぱり長女。母性を感じる。現状三玖と並んで好きなキャラ。
二乃
次女。上杉がやってきた当初は、睡眠薬入りの水を飲ませて強制帰宅させたり、上杉が家に来るたびに追い出そうとしていたが、話数が進むごとに、上杉を追い出そうとはしなくなっていき、なんなら病んだ上杉にお粥をつくってあげたり、他の姉妹と一緒に上杉に服を見繕ってやったりなど、段々と上杉に心を許していく姿が描かれている。
この心理の移行は、二乃自身の心境の変化であるとともに、5姉妹と上杉の距離感を表しているように感じる。最難関で門番のような役割をしている二乃。その二乃と融和していくことで、必然的に他の4姉妹とのコンタクトがとりやすくなる、具体的には家にいる時間や姉妹と過ごせる時間が増えるという具合だ。門番を突破するメリットはでかい。
次に性格面の話。二乃は5姉妹、というか他の4姉妹が大好きで、5姉妹でいる家が好きだから上杉が入ってくることを拒んでいた。
この二乃の行動とその動機を聞いて僕が思ったのは、二乃は寂しがりや、というか孤独を恐れているというような印象を受けた。上杉が来て、5姉妹の関係が変わってしまい、その先に訪れるかもしれないこれまでと違う二乃にとって孤独な、寂しい思いをするかもしれない日が来ること、それを二乃は無意識の内に恐れているのだろうなと思う。
そもそも二乃の普段の言動はツンツンしているが(万人に対してそうかは不明。)、あの態度はたぶん、ああいった態度をしているような自分とでも過ごしてくれる人、つまり素の自分を受け入れてくれる人を求めている意識の表れだと思う。そんなツンツンした自分と一緒に過ごしてくれるから他の4姉妹が好きなのかもしれないし、そんな自分の願いのために夏祭りのなか姉妹探しに上杉が奔走してくたから、上杉にお粥を作ってあげたり、家庭教師を続けられるように手助けしてくれたのかもしれない。
心を開いたきっかけはわからないが、前述の5姉妹依存な態度や、肝試しの際の一人は嫌というセリフ(あれはシチュエーション的に深い意味はないかもしれないが)、10話の終わりの次回予告での私が支えてあげないとというセリフなど、孤独を恐れてると取れるような言動が多いように感じる。
私が支えてあげないとというセリフは、相手が自分なしでは生活できない状況=相手が自分のもとを去るようなことはない→独りになることはないというロジックに、たぶん潜在的にではあるものの意識があるといことなのかなと思っている。
5姉妹の中でも人間の言動の裏の複雑さみたいなものが色々なシーンで出ているキャラだと思う。悪い男につかまって泣きをみるような将来にはならないでほしい。
三玖
三女。四葉の次に上杉に協力するようになった三玖。
性格としてはおっとり系。一花と四葉に煽られたことで自分の中の恋心に意識を向け始め、また、恋の話を一花とすることで、一花の恋心を逆に浮かび上がらせていっている感じ。
こういう言い方はよくないかもしれないが、早く上杉と打ち解けたおかげで、登場自体も多く、デレるシーンも多く、人気が出そうなキャラだと思う。僕も好き。
別に好きじゃないと言っていたのが、独占欲が芽生えてきたりと、自身の恋心を自覚していく過程は尊く、応援したくなる。三玖かわいいよ三玖。
四女。最初から上杉に対して友好だったり、困っている人がいたら助けずにはいられなかったり、仏かなにかか?と問いたくなるいいやつっぷり。
最初から友好的であるがゆえに態度が変わるギャップで見せ場をつくりづらいのが難しそうなところ。
膝枕のシーンのがあったり、そのあとにバスケ部への入部を断りに行くシーンがあったり、四葉なりに上杉への感謝や一緒に勉強を頑張っていくという決意が見られたのは、四葉と上杉もしっかり信頼が深まってるよーというのが明示されていてよかった。
正直なところ四葉は中途半端に勉強をさせるよりも、スポーツで一流を目指したほうがいいんじゃないかとも思うけど、これが四葉の選択なので仕方ない。
四葉に関しては、四葉は昔から明るかったのか?あるいは母の死の影響かなにかで明るく振舞うようになったのか?明るく振舞っているが悩みはどんなものがあるのか?このあたりの話が聞きたいというか見たいところ。
五月
末っ子。末っ子らしさはあまり感じない。現状アニメではなかなか不遇な印象で、上杉とケンカしているか、上杉を認めている発言をしているか、どちらかでの登場が多いイメージ。ケンカの仲直りの際に三玖の真似をしてたのがかわいかった印象。大食いキャラは現状ではあまり目立つシーンがないかなという印象。
過去に上杉と会っていた5姉妹の誰かは五月で、その時の出来事がきっかけで二人とも勉強をするようになったんだろうなーと僕は予想しているので、そのエピソードを二人が共有すれば、出番も増えて、魅力も引き出されていくんだろうなーという予想。
今のところ五月回のようなものはないので、今後に期待。
おわりに
ざっくりと印象を書いていきましたが、二乃に関しては特に、見ていて妄想が広がる部分が多かったので長くなってしまいました。
5姉妹の魅力を引き出すのに1クールでは明らかに足りなさそうなので、この子達が好きなら原作を読もうという感じですね。僕は原作を買うかは未定です。
リアルに誰が好きかと考えると、やっぱり一花だなあ
PHYCHO-PASSを観ながらつぶやいた内容まとめ
PHYCHO-PASS3話まで見たけど面白いな
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月9日
サザランドの思い描いたディスプレイが出てるとことか見て妄想が捗る
風呂入りながら思ったけど4話で部屋の模様はホログラフィックで演出した見せかけって言ってたから、思うがままに部屋の様相を変えるサザランドの思い描いたディスプレイとは違うものだった
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月9日
でもあれがホログラフィックなら、あの世界での服はどうなってるんだろう?
VR空間でアバターを用いてのコミュニティ集会なー
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月9日
PHYCHO-PASSって2012年の作品だけど、4話に出てくる先のシチュエーションが、Vtuberの出現などによりリアルで実現に向かってるのが面白い
部屋のシーンでの技術の応用だと、服は物理的干渉が可能なものを毎度生成しているわけではないということになるだろうし、長袖長ズボン、あるいは半袖半ズボンを人間が履いて、そこにホログラフィックを投影する形なのかな
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月9日
しかしそれだと見た目と機能に乖離が生まれて、違和感がすごそう
投影機の役割を果たしている装置がどこに存在しているのかも気になる
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月9日
拡張現実を見せるための装置を眼球や脳に埋め込んでいる設定なのか、あるいは街自体が拡張を見せる機能を果たすように設計されているのか
後々説明が出てくるなら楽しみにしたい
実現可能性のある、魔法の世紀的な世界観のアニメPSYCHO-PASS
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月9日
6年前に放送されたこのアニメに出てくる、VR空間でアバターを持った人達がコミュニティに集まるというシーンは、現在のVRchat的なものだし、今さらこのアニメを見てる僕だけど、今だからこそ面白い部分も多い
PSYCHO-PASSの世界観くらいテクノロジーが人間の生活に溶け込むと、オフラインの状態でのストレスが半端なさそう
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月9日
コンピュータと人間の関わりでそういった状態が生まれることを、コンピュータに支配されていると捉えて拒絶するか、機械との共生であるデジタルネイチャーであると考えて適応するか。
槙島がドミネーターの執行対象にならない設定は後で理論の解明がされるのかどうか
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月12日
科学的世界観だけに、なんで機械の測定に引っかからないのかっていう事の論理的説明が欲しい
ないと不合理なチートキャラになってしまう
PHYCHO-PASS二期、5話まで見たけど、一期からの制作会社やら総監督、脚本の変更などで、一期とは雰囲気が違う印象。
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月21日
一期と二期の大きな相違点の1つは、二期方がグロテスク描写がやたら細かいことかな
個人的には嬉しくない変化点
PHYCHO-PASS一期は槙島という人物を中心に描かれた、機械の監視下に人間が置かれた社会についてという、問題提起的なテーマだったと思うんだけど、二期では何がやりたいのか
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月21日
5話まで見たところだと、グロテスク描写ばかりが目につくけど、槙島ポジの鹿矛囲の動き方次第で二期の評価が決まるなあ
二期の最初の方でナレーションが入ってたけど、「これは常森朱の物語」って言っていたように、二期ではサイバーパンク的な世界観に存在している、環境に調和をしながらも盲目的でなく、良心を持った常森朱という人間を描くってことなのかな
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月21日
ストレスの解消ができずにタバコを吸い、ドミネーターを多数の市民に対して行使したことに憤ったりと、監視官として成長をし、仕事の場面で感情的になることは少なくなったものの、場面によって朱の人間的な部分をしっかりと描いているのは良いと思う
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月21日
PHYCHO-PASS二期を見終わった
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月23日
一期が機械に統治された世界への問いかけだとするならば、二期は世界を統治している集合体を、彼ら自身の手で裁けるのかどうかという問いがテーマだったのかな
そのためのキーマンが集合体でありながら個人として生きている鹿矛囲
完全に公平であると謳う統治機構が、自身に向けることのできない理論や手法をルールの外に置いているが、統治機構を裁くシステムがないのはおかしいと考え、統治機構も場合によっては裁きの対象になり得るシステムを確立させるのを大きく推進させる存在としての鹿矛囲か
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月23日
鹿矛囲の行動動機は、地獄の季節に起きた航空機事故が発端となるわけだけど、それと同様の、市民の理不尽な死を招くような事件を起こしてるのが、鹿矛囲の行動の一貫性を損ねていて、てストーリーとしてはうーんという感じ
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月23日
一期の槙島と正反対の存在として、シビラの統治する社会に盲目的に従順する霜月の存在は、あの世界観での人物像としておもしろかった
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月23日
最初に出てきた時は後半には成長するのかなと思ったけど、そういった面は尺のせいか描かれなくて少し残念
現場での指揮能力とかもう少しなんとかならなかったのか
霜月がなんで10代という年齢での起用になったのか謎だし、情報収集と分析は優秀っぽかったけど、公安に必要な現場能力はよくないような描写が多かった
— 熊吉太郎 (@Kuma23Lion) 2018年6月23日
ASMR音声がなぜ気持ちよく感じるのかを考えてみた
少し前に、ASMR音声で気持ちいいと感じる音はなぜ気持ちいいと感じるのかということについて考えたものの、アウトプットはしていなかったので、今回はそれについて書いていこうと思います。
僕はASMR要素の含まれる音声をまあまあの頻度で聴くのですが、そこで聴いた気持ちのいい音について、なぜ気持ちいいと感じるのかを考えた結果、それらの音を要素分解すると、2種類のルーツに分けられるじゃないかと思いました。
その2つとは、遺伝子的に気持ちいいと感じる音と、個人が経験した気持ち良さを想起させる音です。
遺伝子的に気持ちいいと感じる音について、具体的にどのような音がこれに当てはまるかと言うと、雨の音、川の水の流れる音などが分かりやすい例だと思っています。
これらの音の共通点は全て水が存在することで発生する音だというところ。
当たり前のことですが、人間の生存にとって水分は不可欠です。
その非常に重要な水分が身近な位置にあるということを聴覚を通して認識することで本能的に安心する、それが水音系の音を気持ち良く感じるメカニズムなんじゃないかと思いました。
水がある=安心という反応が本能的に行われているんじゃないかという仮説ですね。
また文脈的にまとまりがよくないので先の例ではあげませんでしたが、耳舐め音や咀嚼音などもこれに当てはまるかと思います。
人類の誕生が数百万年前とかなので、この遺伝子的に気持ちいい音という枠に当てはまる音は必然的に、自然的な、昔からある音。あるいはそれに似た音となるかと思います。
次に個人が経験した気持ち良さを想起させる音ですが、こちらの方の具体例としては、梵天の音、洗髪の音などが当てはまるかなと思いました。
このタイプの音を聴くとなぜ気持ちいいと感じるかというと、その音を聴くことで、昔その音を聴いた時の安心感や気持ち良さを想起するからだと考えています。
これは、ある音楽を聴いた時に、昔その音楽を聴いた時のことを思い出すのと近い体の反応だと思います。
例えば、梵天の音が気持ちいいと感じる理由の考察は、梵天の音が、寝てる際に耳が枕に擦れる音によく似ているからだと考えています。
布団に入って安心している時に聞いている、耳と枕が擦れる音に近い梵天の音。それを聴くことで自然と体がリラックスするので梵天の音=心地よい音である。と僕らリスナーは捉えているのではないかと思いました。
洗髪の音についてはもっと単純で、洗髪は気持ちいいという認識がある人が、洗髪の音を聴くことで、洗髪の気持ち良さを想起し、心地よく感じる。ということだと思っています。
それに加えて洗髪の音は水気のある音も鳴りますから、リラックス効果は高いように思います。
まとめ
以上のように、一部のASMR音声について、分類と考察をしましたが、1つ目はともかく、2つ目はけっこうメチャクチャな内容な気もします。
ここで上げなかったASMR音声に、キーボードを打つ音やページをめくる音などがありますが、これらについてなぜ気持ち良いと感じるのかを考えても、分かりませんでした。謎です。でも僕もこれらの音が好きです。しかしメカニズムは謎です。
ASMR音声で、自然にまつわる音を聴くとリラックスすると言うのは割とありそうな気がしていますが、その他の音に関しては考えてみてもよく分かりません。
結果としてASMR音声がなぜ気持ちいいかは考えてみてもよく分からんという感じになりましたが、これを読んだASMR音声ファンの方やそういった音声を作っている方の参考になったり考える機会になったらいいなあと思います。
では、よいASMRライフを!
ガルパンを観た感想
今更ながらここ数日間でガールズ&パンツァーを視聴しまして、今回はその感想を書いていきたいと思います。
ネタバレになる内容も含まれていますので、そういったものを見たくない方はこの先を見ない方がいいです。
ガルパンの感想を以下のように要素分けして、それぞれについて書いていきます。
- ストーリー
- キャラ
- 音楽
ストーリー
ストーリーの大筋としては、ある出来事をきっかけに戦車道(戦車を使った模擬戦を行う部活のようなもの)から離れるために転校した主人公が、転校先でもあるきっかけから戦車道をやることになり、その学校の仲間達との絆を深めながら廃校阻止のために戦車道全国大会での優勝を目指す話です。
この作品のテーマは逆境を乗り越えるためのチームワークと知恵、かなと思います。
戦車道全国大会に出場する大洗女子学院ですが、初期の段階では戦車が5代しかなく、対する相手は10大以上の戦車を保有している学校ばかり。この時点で対戦相手に対して数的不利な状況が必然的に毎試合生まれます。
戦車の保有数的の少ない大洗女子ですが、大会のルールとしてフラッグ車の撃破が勝利条件とされているので、数的不利な状況でありながら、敵のフラッグ車を撃破することで勝利を収めていくストーリーとなっています。
この状況から生み出される展開に、僕は上記の逆境を乗り越えるためのチームワークと知恵というメッセージ性を感じました。
みほ達大洗女子は、不利な状況でありながらも互いを信頼し続け、不足の事態が訪れた際も、みんなで助け合いながら苦難を乗り越えることでさらに信頼を深める、といった描写が何度も出てきます。
また、みほの作戦もかなり上手く機能していることが多く(こそこそ作戦、通信傍受を逆手に取る、など)上であげたチームワークと作戦の的確さ、この二点が大洗女子のサクセスストーリーをつくったと思いますし、同時にこの二つは困難に立ち向かう際の重要な要素だというメッセージ性もあるのではないかと思いました。
キャラ
ガルパンを見てキャラクターについて思ったことは、全てのキャラクターが個性的であるということと、複数のキャラクターをグループとして視聴者に認識させているということです。
全てのキャラクターが個性的であるというのは作品を見ればすぐに分かるかと思います。
みんな個性的だから、没個性的に見える一年生チームも、普通という個性を持ったキャラクター達の集まりであるという見方にもなります。
また、キャラクターをグループとして視聴者に認識させているというのは、複数のキャラを1つの属性で括っているということです。
例えば
・生徒会長、桃ちゃん、柚子から成る生徒会組
・バレー部の4人から成るバレー部組
・そどこのいる風紀委員組
など、複数のキャラを特徴を持ったグループとして括ることで、「名前は分からないけどあのグループのキャラだからこんな感じの性格かな」と、キャラを深掘りしなくてもそのキャラの性格などをある程度視聴者が予測できるという状態にしているのが面白いなと思いました。
ただしこの手法を使っているのは大洗組だけで、他校の主要選手は個性を持たせて個人を認識できるようにしてるのが、キャラに関する良い情報量の調整だと思いました。
音楽
僕がガルパンを楽しく見ることのできた理由の1つに、作中で流れる音楽の、シーン毎のメリハリというのがあると思っています。
日常シーンで軽い感じの音楽が流れているのは当然ですが、ガルパンでは戦車を用いた試合の時でさえ、行軍の時などは軽快なBGMが流れています。
このようなBGMを流す意図としては、戦車を用いた戦いであれど、存在そのものは部活のような気軽さも併せ持つ戦車道の雰囲気を持たせたいからだろうと思います。
設定としては怪我などもほとんど起きない戦車道の試合であれど、試合中に常に重苦しいBGMが流れたら視聴者の安心感などを大きく削ぐと思うので、あえて軽いBGMを流すことで、視聴者は戦闘シーン以外は身構えずに楽な意識で見ることができる。これは大事だと思いました。
あとプラウダ高戦でプラウダの生徒達が歌っていたカチューシャを讃える歌?校歌?がロシア語で歌われていたのですが、全体の指揮を高めるために音楽を用いるというのは実際にもあるものですし、あの演出はとても好きです!
総括
水島監督らしく、テンポ感と音楽がよく、誰にでも視聴をオススメできる楽しいアニメでした。
感想を書いた上での心残りは、学園が船の上にある意味、メッセージ性がわからなかったことです。
あとで他にガルパンの感想などを書いている方のページなどを見て、あの設定の意味について考えて見たいなあと思います。
最後に一言。ガルパンはいいぞ