観たアニメ、読んだ本の感想を書くブログ

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サマータイムイベントのフィッシュルのストーリーをプレイした感想

フィッシュルのサマータイムイベントのシナリオをプレイしたので、簡潔に感想と考察を書いていく。


フィッシュルの心象世界である幻境は城(幽夜浄土)。


幼少期はフィッシュルの演劇的な態度にも付き合ってくれていた両親だが、フィッシュルが大きくなるにつれて彼女に対して諭すような態度を取るようになる。

それが原因なのか、フィッシュルの中に幽夜浄土に対してネガティブに思う部分が生まれる。その感情を体現したのがこの幻境で出てくる、幽夜フィッシュルである。


幽夜浄土に対する見方は
フィッシュル→自由と演劇
幽夜フィッシュル→現実逃避
であり、フィッシュルは幽夜浄土を肯定的に捉え、その一方で幽夜フィッシュルは否定的に捉えているようだ。


この短編ストーリーの終盤で、フィッシュルは自分のネガティブな面である幽夜フィッシュルの存在を認めて、受け入れて進んでいくことを決める。
彼女は忌避していた自身のネガティブな面を受け入れることが出来るようになった。それはなぜか。きっと仲間である主人公たちと共に図書館の敵を倒し迷路を踏破したからだ。


ストーリー終盤の図書館の中の敵は、フィッシュルがこれまでに出会ってきた古い法則(=常識)を持った人々のイメージを元に生まれたものなのかもしれないと考える。このストーリーを進める上で合言葉として「我が民に自由を与え、古き法則に囚われぬように」という言葉が出てくる。つまりフィッシュルは古い法則(=常識)を乗り越えるべきものと考えているわけだ。それが具現化して敵として現れたのが図書館のモンスター達なのだと思う。そして仲間と共に戦いそれを乗り越えることに成功する。それがフィッシュルにとっての自信になり、自己肯定に繋がったのだろう。自分には自分の世界がある。そしてそれを受け入れて共に歩んでくれる仲間がいる。だからこの道は間違いではないのだと、彼女は思えたのだ。

 

このストーリーは妄想の肯定であるし、プレイヤーのあなたも自由に妄想していいんだぜ〜という製作者側の1つのメッセージのように感じた。

 

まあそれはともかく、フィッシュルとモナの絡みが好きなので今後もまたこの2人が出てきたらいいなあと思う。ノリノリで自分の世界に浸るフィッシュル、ダルそうにしながらもなんだかんだで付き合いつつ、時には気づかいを見せるモナ。

この2人のこんなやり取りがみたいなあなんて妄想することもまた自由なのだ。

行動は目に見えるが、頭の中は誰にも見えない。

小説『老人と海』の感想

僕はヨルシカの音楽が好きでしばしば聴いている。

そのヨルシカの曲に『老人と海』という曲があるのだが、この曲はヘミングウェイの同名の小説から着想を得てつくられたものらしい。

そういった関係性のもと、2021年11月から小説『老人と海』がヨルシカとのコラボカバーで発売されている。

また、『老人と海』と同様の経緯で『風の又三郎』もコラボカバーを纏って発売されている。どちらとも2022年3月末までの配本ということで、気になる方は早めに手に入れておくことをお勧めする。

さて、今回もまた本を読んだ感想をぼちぼちと書いていきたいと思う。

 

 

あらすじ

サンチアゴは以前は村で最強の腕っぷしを誇る漁師だった。腕相撲をすれば誰にも負けず、それは自分よりも体の大きな人間が相手でもそうだった。

そんなサンチアゴも年をとった。マノーリンという少年が彼を慕い、様々な手伝いをしてくれているが、彼がいない時に改めて自身の衰えを感じるシーンが何度も描かれる。

そんな老人サンチアゴと巨大な魚(カジキ)の勝負を主題として描かれたのが本作である。

 

老人の感性

老人サンチアゴの感性にはなかなか面白いところがある。

トビウオやイルカやカジキを兄弟と呼んだり、舟に泊まった小鳥に対して、「なあ、チビ、たっぷり休んでいけ」と声をかけるなど、一部の生き物に対して強い愛着を持っている様がうかがえる。またその一方で毒を持つクラゲに対しては「淫売」と吐き捨てる。

海に長く出続け、多くの種類の生き物たちと漁の中で関わってきたからこそ好みが生まれ、好き嫌いが生まれたのだろう。そして同時に、好き嫌いに関係なく、海に住むすべての生き物を受け入れるような姿勢でいる老人に対して、人としての深みを感じる。

好き嫌いはあっていい。しかし無闇に傷つけるのではなく、同じ世界に生きていることを受け入れ、共存する。大人な態度であるし、度量が深いと感じる。

 

他に面白いと思ったところに、右腕に対して力の弱い左腕に対して、「この左手を甘やかしたおれが悪かったんだろうが、こいつだってあれこれ学ぶ機会はあったはずなのだ」という老人のモノローグが印象に残っている。

左手に対しては他にも、「手よ、もう少しの辛抱だ。おまえのためにくってやるぞ」や、「網を放してもいいぞ、手よ。おまえがまともな状態にもどるまで、右手だけでやつをあしらってみせるから」と声をかけるシーンがある。

これらのセリフから思ったことは、老人は自身の手に対してわが子のように接するなあということである。

老人は左腕に対して、子育てに悩む父親のようなこと思ったり、あるいは苦難の時には声に出して励ましたりと、このように弱さを受け入れた上で反省したり元気づけたりする様子にもまた、老人の度量の深さを感じた。

こういった度量の深さはどのようにして生まれるのか?それはおそらく経験の積み重ねが必要で、まだ20代の僕が今すぐに手にいれようと思っても届かないもののように思う。

人生の中で苦難を乗り越え、辛い状況に立ち向かいながらも生きていく。そういった過程を経てこそ、この老人のような度量の深さが生まれるのだろうなと、僕はおもった。

 

兄弟のように感じても、捕る

老人は漁の最中に様々な海の生き物たちと遭遇する。そこにはイルカや小鳥のように親近感を覚える相手もいれば、クラゲのように嫌いと思う相手もいる。お気に入りと評するトビウオもいれば、カジキやサメだっている。

このように様々な生き物が登場するわけだが、老人はいくらかの海の生物たちに愛着を持ち、時には兄弟と呼んだりしながらも、それらを捕ることに対して大きな抵抗は持ち合わせてはいない。

自分は漁師として、魚を捕るために生まれたきたから仕方がないことだ、と彼は割り切っている。

この割り切りは生きていくうえで非常に重要だと感じる。

なぜなら、生きていくために他の動物や魚の命を頂くことは人間にとって自然なことであるし、それらは食料源としてとても大事なものだからだ。

食料が豊富な現代の先進国においては肉を食べることの是非について議論されたり、肉を食べるべきではないという主張も少なからず見聞きする。

しかし老人の生きている世界はそんな議論が生まれるような状況にない、まだまだ食料に余裕がない世界のようだ。

そんな食環境で肉を食べることや漁をすることに対して疑問を持って、あまつさえ否定までしてしまったら、老人は食べていくことが出来なくなってしまうだろう。

漁をすることに対して疑問を持ってしまえば人生が立ち行かなくなる可能性がある。

それを憂慮してのことかはわからないが、漁の是非、かわいい魚を捕ることの是非に対して深く考えない老人の姿勢は、それもまた1つの処世術であると感じた。

 

沖に出すぎたんだ

老人とカジキの対峙は熱かった。どちらが勝つのか、読んでいてハラハラしたし、決着の際には感嘆した。

老人は持っている全ての力、知恵、体力を用いて、ついにカジキを捕ることに成功した。その過程は生半可なものではなかった。

3日間に渡る海上の戦いは壮絶で、人はここまで出来るのかと思わされた。

特にカジキを掛けた網を支えながら器用にマグロを捌き、それを食べることで精力をつけるシーンでは、老人の逞しさと、自然の中でも生き抜くことのできる強さのようなものを感じた。

しかし自然とは容赦をしてくれないものである。サメが幾度も襲来してくるのを見て、そう思った。

カジキのほとんど全てを食べられてしまった老人は残念がりながら、此度の出来事をこう顧みる、「おれは何にやられたのか。そんなものはない。ただ沖に出すぎたんだ」。

『沖に出すぎた』という言葉には2つの解釈があると思った。1つは純然に、沖に行き過ぎた結果、長い帰り道でサメにやられてしまったという解釈。

もう1つは、自身の力の及ばない領域を『沖』と表現し、そこに足を突っ込んでしまったのがいけなかったという解釈。

どちらの解釈にしても事実を表している。小舟で遠くに行き過ぎたせいで、帰りにカジキを守りきれなかった。自身の力が及ばないところ(沖合)まで行ってしまったせいで、自然に牙を剥かれた。どちらも事実だ。

年をとったサンチアゴではなく、若いころのサンチアゴだったら、カジキを無事に連れ帰ることができただろうか?

おそらくそれもまた難しいことだっただろう。個人の力量の問題ではなく、装備や乗組員の数が結果を変えるような、そんな類のものだろうから。

だが、自然はそんなことをお構い無しに、たとえ丸腰の個人に対してもその猛威を振るってくる。

一人の人間でも、あきらめない心と逞しさで大きな困難をも乗り越えることができる。

しかし、強大な自然を前に、ろくな装備を持たない個人は無力だ。人が持ちうる力をすべて発揮しても、越えられない試練を、時に自然はもたらす。

老人の力強さに憧れを抱きながらも、それでも届かない領域というのも確かにあるよなと思った。

良くも悪くも、人間の限界が描かれていた。

 

おわりに

「人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」

これはヨルシカのn-bunaがピックアップした、作中の老人のセリフである。

このセリフに、老人の強さの源が詰まっているように思う。

苦難に立っても老人は諦めない。手が攣ろうが、目が霞もうが、サメに襲われようが、前を向いて戦い続ける。

その姿は人間の生に向かう強さであり、ある種の人間の強さの理想形の1つなのかもしれない。

ではその強さを手に入れるにはどうしたらいいのか?

これも度量の深さと一緒で、人生の中で辛いことや困難を乗り越えた経験の積み重ねで滲み出てくるものなのかもしれない。

人生は若いうちが最高期で、年を取ることは嫌なこと、というような価値観が世間的にある程度あると思うし、個人的にもそういう思いが少なからずある。

しかし、サンチアゴのような、深い度量を持ちつつ、自然の中で生き抜いていく強さを持ったかっこいい人間になれるのなら、年を重ねるのも悪いことばかりではないなと思える。

森見登美彦作:『夜行』の感想・考察

森見登美彦先生の著作、『夜行』を先日読み終えたので感想と考察を少しだけ書いていこうと思う。

本作は大変謎が多い。明確な答えを描かないことによって、読者に想像の余地を多く残し、委ねている作品だ。

その謎の1つ1つに対する自分の解釈を書いてしまうと大変な長さになってしまうし、そもそも解釈を持つに至っていないものも多いので、ここではこの作品を読んで僕が感じたメッセージ性について書いていきたいと思う。

 

 

長谷川と再会できなかった岸田は、彼女を作品の中に描く

岸田が『夜行』を制作する世界線と『曙光』を制作する世界線が存在するわけだが、その分岐点はどこだろうか?

これは本文でも明示されているように、長谷川との出会いだろう。

尾道での朝に長谷川と挨拶を交わしたから、そして火祭の夜に長谷川に声をかけることができたから、岸田は長谷川と結婚をすることができ、旅を通じて『曙光』を描いていくことができたのだ。

では、尾道の朝と火祭の夜に長谷川と出会うことが出来なかったなら?

『夜行』を制作した方の世界線の岸田が田辺と会話をするシーンで、長谷川の失踪の話をする中で、岸田の「あの夜には僕も鞍馬へ行ったんだ。あとで新聞で読んで驚いた」というセリフがある。

もしかしたら、こちらの世界の岸田も過去に尾道の美術館で長谷川と出会っていたのではないか?そして新聞を読んだ際に、そこに掲載されていた見覚えのある女性の顔写真と行方不明の文字を見たことで驚いたのではないか?こちらの世界の岸田は1度しか長谷川とは出会っていないが、それでも彼女に強く惹かれていたのでは?

そう考えたら、岸田が描いた『夜行』に描かれている女性は長谷川なのではないかと思えた。長谷川のことを頭に思い浮かべながら、日本の各地を彼女と旅する夢を見て、それを銅版画という形式で作品にしていった。そして最後にはその絵のゴーストによって殺害(絵の中に連れていかれた?)されてしまった。そういう物語だという風に僕は解釈をした。

この場合、岸田は妄執という形容がぴったりなような、並外れた狂気を持ち合わせた人物になってしまうが、それもまた1つの解釈としてありだろう。

 

 

夜行と曙光。夜と朝。夜の気分と朝の気分。

先にも書いていることだが、岸田が作った銅版画には『夜行』と『曙光』という2種類の作品群が存在する。

『夜行』は岸田が夜に暗室の中で制作した作品群だ。これらの作品群は暗い雰囲気の作風となっており、また小説内の人物は『夜行』を見たのちに不穏な物語を紡いでいくことになる。

それに対して『曙光』は岸田が妻の長谷川と共に朝を追いかけて旅をしながら描いた作品群である。

夜に制作した『夜行』は暗い作品群となっていること。そして朝を追いかけながら制作した『曙光』は明るい作品群となっていること。

これは、夜に制作した創作物は暗くなりやすく、日中に制作した創作物は明るくなりやすいというようなことを伝える表現のように思えた。

「夜は悪魔の支配する時間だから原稿を書いてはいけない。もし夜に原稿を書くことを余儀なくされた場合は、後で日中に読み直してみること。」というような神学者の言葉があるが、それを思い出した。

夜の暗室。その暗闇の中で岸田の負の側面が色濃く出て、そして生まれたのが『夜行』だったのではないかと思う。

 

おわりに

夜行を読むのは夜にしよう。そう思って毎晩寝る前に1章ずつ、計5日間で読み終えた。

本書を読んだ後にトイレに行って用を足してから寝るのがその数日間の習慣だった。

怪談を読んだ後の独特の警戒心を持ちながら自室と廊下を往復する。

いるはずもないのに、洗面所の暗がりに女性がいそうな気がしてくる。

そう思った時、僕も夜行の世界と繋がっていたと言えるのかもしれない。

「夜はどこにでも通じている」と、誰かが言っていた。

小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の感想と考察

先日フィリップ・K・ディックの小説、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読みました。映画『ブレードランナー』の原作にもなっている本作。なんだかんだで手に取っていなかったのですが、いつか読もうという想いが先日達せられたので、感想をぼちぼち書いていこうと思います。

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ルカリオでVIPに入った自分のキャラ理解度

ver8.1.0の時点、2020年8月13日に書いた記事です。

 

ルカリオがVIPに入ったので、自分がルカリオを使っていて考えた、ルカリオのそれぞれの技の重要度と、ざっくりとした使い方を書いておく。重要度に関しては5のもの以外は直感で決めてるので、あまり細かく参考にする必要はない。

VIPに行ける程度のルカリオ使いにまずなりたい、そんな人の参考になれば幸いだなあ。

 

発生7F 重要度1

使い道があんまりない弱。

弱攻撃の割に発生が遅め。火力も普通。コンボにも繋がらない。ダウン連で使えるらしい。

自分は近距離での暴れで稀に使用。

 

DA 発生7F 重要度3

無難なDA。

着地狩りに使うと良さげ。差し込み技としても悪くない。めくり判定がなく、ガードされると高確率で反撃をもらうのでそこは留意すべし。

立ち回りで困ってこればっかり振って反撃をもらいまくったのは悪い思い出。

 

横強 発生12F 重要度3

リーチ長めで使い勝手のいい横強。

ルカリオの技の中ではリーチの長い部類に入る横強。密着ってほどでもない距離感でとりあえず置いとくと、相手によっては反撃もないので良い感じ。

高%時に当てると崖際で撃墜できたりする。が、下シフトが安定しないこともあり、自分はその択は使わなかった。

 

上強 発生6F 重要度2

着地狩りでたまに使う技。

自分の理解不足もあり、上強から何が繋がるかよく分からず、また立ち回りで振る場面もあまりない技だと思うので、使用頻度は低めだった。個人的に開拓の余地あり。

 

下強 発生9F 重要度2

無難な下強。

下強からDAが繋がる。近距離で当てられそうなら当てると少し火力が稼げる。立ち回りでたまに振る。

 

横スマッシュ 発生19F 重要度3

 当てたら強いが、狙い過ぎない方がいい技。

自分中〜高%、相手中%の時にこの技で撃墜できると試合運びが楽になるが、外すなりガードなりされれば痛い反撃をもらうので難しい技。

ルカリオと言えば横スマのイメージがあるかもしれないが、こればかり狙うとスマブラが下手になるので注意。

その場回避、横回避、空中回避後などを狙うといいが、難しい。

適当に振って撃墜した際の成功体験に引っ張られないようにしたい。

 

 上スマッシュ 15F 重要度3

一応撃墜択。

発生が遅めなので後隙の長い技に対してしかガーキャンが取れない。立ち回りで当てられるのは相手の着地暴れが予想できる時に置いておく場合くらいかと思う。他はだいたいまぐれ当たり。

波導溜めを相手に当てて、溜めキャンセルから上スマを当てる択があるが、波導溜めを相手に当てる動きが崖上がり狩り以外では難しいのであまり使えなかった。

 

下スマッシュ 19F 重要度1

表裏確認が難しい時用に振る技。

相手が上Bをミスり落ちてくる際など、左右どちら側に攻撃を振るか迷う際に使う。それ以外だと使う機会がない。そんな技。

 

空中N  発生10F 重要度5

ルカリオの立ち回りで一番大事な技。

発生こそ早くないが、着地隙が少ない。そして判定が固めで範囲も広い、ルカリオの主軸技。

下り空Nをガードされても着地直後にその場回避やガードを使えば反撃はされにくいので振りやすい。そのうえ下り空Nからコンボが繋がるので、積極的に狙っていきたい。

範囲が広めなので、相手の跳びの牽制に上り空Nを振るのも強い。

復帰阻止でも使える。万能な技。

ルカリオを使うなら最初は下り空Nを低空で相手に当てる練習をして、その後に下り空N→上投げ→空前(空上)→空前のコンボを覚えよう。

 

空前 発生7F 重要度3

コンボパーツとして主に使う技。

低%~中%で空前→空前→空上や、中%でも空前→空前や空前→空上など、コンボの起点として使える技。

空中にいる相手に当てるか、ジャンプの下りから当てるのが主。

 

空後 発生13F 重要度5

ルカリオの撃墜のメイン択。

ふっとばしが強く、波導補正が乗っている際はめちゃくちゃ飛ぶ。

この技でどれだけ撃墜できるかでルカリオの撃墜力がだいぶ変わってくると思う。

発生が遅く下りで当てるには急降下の使用不使用による、相手のガード解除を狙う意識などが必要。

基本的にはジャンプ読みの上り空後を当てたいところ。

 

空上 発生10F 重要度4

コンボの締め、着地狩り、撃墜に使える空上。

波導補正が乗っていればこれ担体でもけっこうなダメージが入る。

空前の後の締めや、上に飛んだ相手に対しての追撃に使うと強い。

上空の相手に当てれば撃墜できる威力があるが、そのシチュエーションにあまりならな気がする。

波導溜めを当ててから空上を当てて撃墜するセットアップがあるが、練習不足もあり自分はほとんど使用できなかった。

 

空下 発生4F 重要度2

発生が早く、適切に振ることができれば有用な技。

ルカリオのガーキャンから振れる発生の早い技はこれだけなので貴重。密着時にガーキャンで使いたい。

低%から波導溜めを当て、空下につなげるコンボもあるらしい。

範囲がせまいこともあり自分はあまり使うことができていない技。

 

NB 発生9F 重要度5

立ち回りと崖の要の技。

判定が弱く、マルスの横強に150%の波導補正が乗った波導弾がかき消された時には思わず笑った。が、判定以外は強い技。

自分が高%の時は逃げ回りながら波導を溜め、それを相手に当てて火力を稼げる。

地上で溜め始め横回避で敵の攻撃を避けたり、溜めからガード→掴みを入れて火力を稼いだり、空中で溜め始め空ダで避けながら溜めたり、波導を溜める際にも色々な択があるのを把握しておくと良い。

波導補正の強い状態だと崖掴まり中の相手にも溜めた波導弾が当たるので、崖で非常に強い。タイミングが合えば溜めた波導弾で崖の全ての択を狩れる。

また波導弾を意識してガードが増えている相手にステップからはっけいを入れるのも撃墜択としてあり。

 

波導溜めからの火力稼ぎ、撃墜択もある。波導溜めを立ち回りで適切に当てられるようになるにはかなりの練習が必要そう。とりあえずVIPに行くくらいのレベルを目指すなら波導溜めを当てるテクニックはまだ必要ないと思う。ただその場上がり読みの崖でのみ狙ってもいいと思う。

 

横B(はっけい) 発生 つかみは9F 波導噴出は24F 重要度4

撃墜択の1つ。波導補正が高い時だとかなり飛ぶ。

全体フレームが63もあり、外した際のリスクが大きいので立ち回りではあまり使わず、撃墜を狙える時に使うことが多い技。自分は立ち回りでもたまに振ってたけどこれはあまり良くない行動。

お互い高%の時、地上で動く相手には波導弾、飛ぶなら空後、ガードをするならはっけいというように、それぞれの行動に対してリスクを付けると撃墜が狙いやすいと思う。

 

下B 発生5F 重要度2

波導補正が強い時は吹っ飛ばし力が強い。カウンター技。

波導補正が強い時は撃墜択として一応機能するが、後隙が大きくリスクがかなり高いので、確実に発動させられる確信がある場面以外では使わない方がいい。

 

攻撃判定のある復帰をしてくるファイター相手に、崖下で下Bを置いておく復帰阻止が有効なことがある。

しかし下Bの発生時に画面が止まらないので相手に当たらないこともしばしば。

この復帰阻止をするより、崖上で波導溜めを行うことの方が自分は多い。

横スマと同じく、この技も闇雲に振っているとスマブラが下手になるので注意。

 

上B 発生46F 重要度:最低限のレベルが必要。それ以上は後回し。

復帰技。

波導補正次第で距離はめちゃくちゃ長くなる。毎回同じ動き、同じ距離からの復帰を試みていると狩られやすいので、移動回避を使って復帰したり、上Bを使う場所も意識的にずらすことが大事。

頭が出るのでネスやパルテナなどに崖掴まりの瞬間を狙われることが多い。

これを回避する上Bの軌道もあるが、習得は手間なのでとりあえずは後回しでいいと思う。

 

掴み 7F 重要度4

火力稼ぎに使いたい掴み。

上投げ

コンボに繋がる。中%辺りまでは掴んだらこれでいい感じ。

前投げ

相手を崖外に出す用。

後ろ投げ

相手を崖外に出す用。

下投げ

不要。

 

だいたいこんな感じだ。

 

立ち回りは空Nと投げを絡めたコンボ、波導弾がメイン。後は適時当てられる技があれば当てる感じ。

自分が100%を超えたら逃げながら隙を見て相手に攻撃を当てる立ち回り。とにかく撃墜拒否の意識が大事。

 

自分の着地は崖に行くか急降下空中回避で強引に降りてた。空ダで着地狩りを拒否するテクニックは理解、実践できず。

 

復帰阻止は行けそうな相手には崖外で空Nを当てたり、復帰技に下Bを合わせたりしてたけど、素直に崖上で波導溜めをしてた方が強いかも。ライン管理も安定するし。

 

撃墜は空後、崖際での波導弾、はっけいがメインの撃墜択。ここにたまにガーキャン上スマや横スマや空上や復帰阻止が加わる感じでやっていた。

 

ルカリオを使ってVIPに行くなら空ダが必須かと思う人もいるかも知れないけど、そんなに空ダを使わなくてもVIPには入れる。

反転ジャンプ空後や、ガード解除反転つかみなど、他キャラでも使う基礎テクニックの方がよっぽど重要だと思う。

 

大事なことなのでここにも書いておくが、横スマと影分身を過剰に狙うのはスマブラが下手になるのでやめよう。

 

それでは、逆転のルカリオを使って楽しいスマブラを。

いつか強化アプデが来ることを期待しながら。

 

 

 

p.s

この記事中に書きたかったのに書くところがなかったので、ここにルカリオの強化希望(願望)を書いておく。

 

NB

判定が異様に弱いです。マルスの横強にかき消されました(ルカリオ150%超え時)。フィットレのNBにルカリオのNBが貫通されました(ルカリオ100%超え時)。判定強化求ム。切二。

 

上スマ

発生が早くなったらいいなあ。

 

横B(はっけい)

クッパの横強Bみたいな判定になったら強そう(空中でも掴める)。でもそれだと強すぎるかもしれない。この強化が来たら驚く。

 

上B

着地隙を少なくしてほしい。そしたら初心者も使いやすくなると思うし、この強化が来れば親切な強化だなと感じると思う。

 

波導補正

現環境下において、撃墜拒否は容易ではない。波導補正の倍率が、現行のものよりも低%時でも高い倍率でダメージ補正が入る仕様になるならば、今以上に幅広いプレイヤーが使いたいと思うファイターになると思う。が、この調整もまた願望に近い。微調整ならあるかも?

 

以上。今後のアプデでルカリオが強化され、今以上に使うのが楽しいキャラになってくれれば嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「100日後に死ぬワニ」感想

3/20、100日後に死ぬワニのワニくんが死んだ。ワニくんが死ぬまでのストーリーを通して、この作品が読者に与えたものについて考える記事。

 

ワニに親近感を覚えた僕ら

この作品の特徴としてあげられるものとして、毎日更新の短編漫画(4コマ)、掲載場所がツイッターという二点を取り上げる。

これらがどのような効果を表すか、それは日常への浸透だ。

初日から数日の間は「なんか回ってきたなー」程度にしか思わなかった人も、作品がバズり始め、誰かの「いいね」の影響でTLに回ってきて、何となく読むようになった人も多いのではないか。僕はこのパターンで読み始めた。

一度読み始め、何度か読んでいると、そういえば今日の更新分を読んでいなかったなと思うようになる。そして作者をフォローするなりして、なんとなく毎日見るようになる。これが日常への浸透をつくりだす要素の1つ目だ。

 

では2つ目の要素は何かと言うと、物語そのものの日常性だ。

漫画の内容はワニくんの何でもない日常、例えばテレビを見て笑ったり、友達とご飯を食べたりといった、僕らの日常と何ら変わりのないものを描き続けていた。

つまり僕らは毎日更新される漫画を通じて、ワニくんの日常を見ていたのである。

ワニくんの毎日の行動をTLで毎日見る。友人の行動をTLで毎日見る。この2つの行動の差異は小さい。やがて読者は自覚的か無自覚的かに関わらず、ワニくんを友達、あるいは知り合いのように感じるようになる。

読者がワニくんに強い親近感を覚えるという仕掛けは、この作品の最も重要な部分だ。

 

ワニくんの死亡について思ったことと、死のメッセージ性について

ワニくんの死亡シーンを見てみなさんはどう思っただろうか?

僕は素直に悲しかった。

毎日平凡な日常をTLに回し続けていたワニくんが、もう現れることがないのかと思うと喪失感があった。

なぜ喪失感があったかと考えると、やはり前項で考えた、ワニくんに対する親近感が僕には生まれていたからだろう。

ごく近しい人でなくとも、毎日顔を合わせている人が突然亡くなったらショックも喪失感もあるだろうが、ワニくんの死亡はそれと同等のものに感じる。

 

ワニくんは突然死んだ。花見に向かう途中におそらく交通事故で死んだ。

「100日後に死ぬワニ」というタイトルがなければ突然のことに読者が呆れるような展開だが、突然の死は僕らの人生で起こりうるものであるし、身近に感じる場面が少ないだけで、それいったものを身近に経験した人だって少なからずいるし、毎日起きていることだ。

そんなことは頭になく、僕はいつまでも日常が続くかのように、日々をただ消化している。

この作品はそういった僕のような人に対して、日常の終わりが来ることを微塵も想像していない人に対して、「終わりはいつ来るか分からないんだから、悔いのないように生きなよ」と、そう言ってるように思った。

 

ワニくんの死を無駄死ににしたくないのなら、僕たちが悔いの残らないように日々を過ごし、彼の死に意味を持たせてやるのが一番の手向けだろう。

 

 

 

 

新条アカネについて考える:GRIDMAN

「私は卑怯者なんだ。私は臆病で、ずるくて、弱虫で、」 

 この一文は、最終回でアカネが自分の性質について話したものである。これを頭に入れつつ、アニメ『SSSS GRIDMAN』のキャラ、 新条アカネについてのちょっとした考察を、アニメを一周だけではあるが見た自分が書いていこうと思う。読者はGRIDMANを見終わっているものと想定して書いていく。

 

新条アカネが怪獣をつくったわけ

  作中でアカネが怪獣をつくるタイミングは2パターンある。

 1つ目は自分の街の住民が、自分の気分を害するような行動をとったときだ。問川たち、先生、Youtuberたちに向けて怪獣をつくったのがこのパターンにあたる。

個別に何が悪かったのかを見ていくと、問川たちは遊びでバレーをしていてアカネが裕太にあげたパンを潰してしまった。先生は、アカネにぶつかるも謝りもせずに去っていった。Youtuberたちは、その一人がべたべたとアカネにくっつきに行った。

どれもささいなことと言えばささいなことである。しかし、「臆病な」アカネにとってはそうではなかった。問川たちの打ったボールが今度は自分に当たるかもしれないし、コミュニケーションの取れない先生は理解不能な怖い存在だし、Youtuberの性的欲求を満たすための行動がエスカレートするかもしれない。アカネ自身はおそらく外傷などは受けない肉体なのだろうが、そういった将来性を持つ人たちを、理想の街で暮らしたい神であるアカネが放っておく理由がない。だから怪獣を使ってその人たちを消そうとした。霧の外の怪獣の力で記憶の改ざんができるのだから、自分で手を下すという選択肢もあったのに、アレクシスの力を借りてまでその役目を怪獣に担わせたのは、アカネが卑怯者で弱虫だと自称するに値する行動選択の一つである。

 

 もう一つの怪獣を生み出すタイミングはグリッドマンを倒すという動機があるときだ。このパターンでの怪獣作成が全体で見ても多い。

なぜアカネはグリッドマンを倒したがるのか。その理由は簡単で、アカネが怪獣を使って人を街から消そうとする際にグリッドマンがそれを邪魔するからだ。臆病なアカネにとっての理想の街とは、自分に害なすものがいない街なのだろうが、アカネがターゲットをとする危険因子を消せなければ(アカネの主観的に)安全な街は保たれない。ターゲットを確実に消すためには、グリッドマンの存在がこれ以上ない程に邪魔なのだから消そうとしたり、仲間に入れようとしたりするのはアカネにとって自然な行動といえる。

 

 どちらのパターンでもアカネの心理の根底にあるのは理想の街(自分に害をなす者がいない街)を運営するうえで邪魔になるものは排除するという意思だ。平和な日常を繰り返し、それを脅かすものは取り除く。それがアカネの行動理念であり、理想としていた日々だったのだ。

 

アカネが引きこもった理由と外に出られた理由について考える

 アカネは最終回でアレクシスの内部からなぜ出ることができたのか。アカネが怪獣を生み出し気に食わない人を排除し街を安全な場所に保つのを認めてくれる存在がアレクシス=内部に留まり続けることを許容する存在であり、アカネはその中にいる状態である。これに対して六花、内海、裕太が自分たちを信じて頼って欲しい、そうすればアカネの世界も広がるからと外部=他人と心を通わせることで生まれる可能性を説く。その可能性を信じたアカネはドアを開けてアレクシス=内部から出ていく。そして街=内部から引っ越して、外部=元々自分がいた世界に行くことを決める。

 外に出ることのできた理由は、他人と心を通わせることができるとアカネが思えたからだ。その可能性を信じられたからだ。

なぜそう信じられるようになったかだが、それはおそらく、アカネのこれまでの行いや性格の悪い部分を知っている六花、裕太、内海がそれでもなお自分を友達だと言ってくれたからだ。

アカネは多分、自分が周りの人間と仲良く過ごすためには、周りの人間が好意的に思うような態度を自分が取らないといけないと思っていて、だから燗に触ることをされても直接は怒らず、家にその鬱憤を持ち帰り、その情動を素に怪獣を作るのだ。

そんなアカネだから、素直な自分の感情の吐露を見てもなお友達だと言ってくれる人がいる事実に心を動かされ、内部から出ることができたのだ。

 これが外に出ることのできた理由だと推測するなら、引きこもることになった理由はなにか。単純に外に出ることの出来た理由と逆の出来事があったからだと想像してみる。つまり、誰かに自分の感情や人間性を否定されたという可能性だ。そういったことがあり人間不信、あるいは自身の性格の受容ができなくなり、外に出ることが出来ない=他人の拒絶に向かって行ったという推測ができる。

 

 GRIDMANは引きこもりのアカネが外に出るようになるまでの過程を描いている作品であることは間違いないが、なぜ引きこもるようになったかについて考察するには判断材料が少ないように思う(自分が作中のメッセージを読み取れていないだけかもしれないが)。だからといってアカネが引きこもるようになるまでの過程を描いたOVAが欲しいかといえば、僕は興味があるが、本編程の人気を得るには難しいテーマのストーリーになることは間違いない。だから本編でもそういったアカネの過去の描写がなかったのかもしれないと考えている。

 

おわりに

 周りに嫌われないような行動を選ぶ人、他人と深い関係を築くことに臆病な人、そんな人はたくさんいると思う。僕もそうだ。だからこそ外に出たアカネを尊敬するし、勇気をもらえた気がする。きっと同じようにアカネから勇気をもらった人、自分と似た部分を持ったアカネを好きになった視聴者はたくさんいたと思う。アカネを救ってくれてありがとうGRIDMAN。